バンカートの私のスタジオにはなぜか赤ちゃんがいて、それは確かに私が生んだこどもだけれど、私の作品のコンセプトと赤ちゃんはそんなに関係はない。
ただ今回、ドローイングを床でしようと思ったのは、赤ん坊をかたわらに制作をおこなっている自分の姿として、それが自然なかたちなのではないかと思いついたからだ。
手と足を床について必死でハイハイするその動きは、すでに完璧な二足歩行で生活する大人のわたしには不思議におもしろい光景だった。
試しに四つん這いになってみると、膝は痛いし、腕は疲れるし長いあいだこの姿勢を保つのは難しいことがわかった。
視線が低くなる。今まで目につかなったものがとても気になり、部屋の空気が冷たく感じる。
感覚をもういちどとらえなおすきっかけとなりつつあるのは、確かにこのこどもの存在だ。
これはコラボではない。
例えるならば、窓からみえる山にこころを動かされて絵を描き始めるようなことである。
そのためにはいつもその山が見える場所にイーゼルを構えることが重要である。
滞在制作の良さはその空間の中でじぶんの作品が動かされ、育っていくことなのかもしれない。